ジャーナリズム【journalism】
新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどで時事問題の報道・解説・批評などを行う活動。また、その事業(界)。
ぶ-らい [0] 【無頼】 (名・形動)[文]ナリ
〔「むらい」とも〕
(1)定職をもたず,素行の悪い・こと(さま)。そのような人をもいう。ならずもの。「―の徒」
(2)頼るところのないこと。「単孤―の独人に成りて/十訓 2」
僕から訳しては《建筑评论界的无赖男》だと思いますけど、どうですか?宮内嘉久波作者の名前で、書の名の一部ではありません。(藤原丽香不是拍过一部剧叫<喜欢无赖男>的么?
注:「建築ジャーナリズム無頼」は、1994年9月に晶文社から刊行されていたもので、今回、中公文庫の新刊として2007年5月25日に発行されたものです。その文庫本に長文の解説を、加藤周一が書いていました。題して「『廃墟』から『無頼』まで」、凄いタイトルです。宮内氏は、廃墟から出発して、建築ジャーナリズム史をふり返り、編集者として、また歴史の証人として、一貫した態度をとった、と加藤は評価します。
宮内嘉久は、1945年5月25日、東京・世田谷東玉川でB-29のじゅうたん爆撃にあいます。次の日、友人が亡くなったという知らせで、青山高樹町へと歩いて向かいます。「その時目撃した渋谷、青山、原宿表参道一帯の焼け跡の光景こそ、じつはぼくのなかの建築ジャーナリズム史の一番芯にある原風景にほかならない。焼け落ちた家々の残骸はまだくすぶり続け、無惨にやけたただれた外壁だけを残してビルはがらん洞になっていた。はるか彼方まで一望できる広い空のもと、焼土の街の西方に驚くほど近々と富士の白い頂があった」と、繰り返し強調しています。
そして「無頼」について。「宮内氏はどこに行き着いたか。出発点は廃墟で、到達点は無頼である」として、加藤周一は「無頼」という言葉を文壇の「無頼派」を例に取り、詳細に吟味しています。「官よりは民、公よりは私、付和雷同せず、権威に屈せず、権力におもねらず、何者に対しても何ごとに出会っても、、常に批判の矢を放つ姿勢を崩さない傾向というべきか」と、共通する特徴を挙げています。まさに宮内嘉久の一貫して取ってきた態度・姿勢そのものであると言えます。
提问者对于答案的评价:呵呵,谢谢拉!